先日リクエストが来た。「松代!」と一言。
わかりやすくて良い。なんとなく聞いたことのある地名だったが、行ったことは無かった。バスが出ているようだが、金欠の私はカバンも持たず自転車に飛び乗った。
長野市松代町の基本情報
面積が61平方キロメートル、総人口約1万7000人の町だ。イギリスのレスターが約70平方キロメートルなので、一回り小さいくらいか。
かつては松代藩の城下町で、長野県立大学の学生寮「象山寮」の由来である佐久間象山が有名だ。太平洋戦争時には地下坑道などが作られ、現在もそのいくつかが残っている。
松代城跡は、大泉洋出演の映画「清須会議」のロケ地にもなっている。
いざ松代へ
基本情報は一切調べないまま、経路だけ調べて自転車をこいだ。
みなさんに1つお伝えしたい。長野市街から松代へ自転車で向かうのはオススメしない。バスや自動車を使うべきだ。私は何度か心が折れた。
さて、雨に降られ、虫に刺され、トラックの運ちゃんに怒鳴られながらたどり着いたのは旧松代駅だ。
旧松代駅
現在は使われていない駅らしい。この写真はホームの端から撮った。写真右側に昔は線路があったそうで、今は駐車場になっている。
この駅、どうやら1922年に開業し、2012年に長野電鉄屋代線が廃線となったことで使われなくなった。この屋代線は須坂~屋代間を繋いでいた路線で、千曲川の東側に沿って走っていたようだ。
旧松代駅の前には、観光客向けの案内地図があった。
英語表記もついている。旧松代駅内にも日本語ver.と英語ver.の散策マップがあり、海外観光客を意識しているようだ。
あらゆるところに六文銭
案内図の右下、うっすらと六文銭がある。この松代町へ来てからというもの、既に何度も六文銭を見かけている。
六文銭といえば真田だ。この町は真田推しらしい。
松代城跡
「松代町に来て、ここへ行かないってのはないだろう?」というオーラを案内図から感じたので、松代城跡へ行ってみよう。
どうやら「入場料取って靴を脱がせる観光地」ではないようだ。公園みたいになっている。散歩してみよう。
中へ入ると、石垣や門があった。水堀もしっかりと残っている。本丸などは無いようで、綺麗な木がたくさん植わっていた。
矢狭間なんかもフツーに覗けるようだ。
象山神社
松代城跡を出て、佐久間象山についてわかりそうな場所へ向かうことにした。どうやら日光の家康のように、佐久間象山が祀られている地があるようだ。
住宅地の中に、生い茂る木々と共に神社があった。境内には佐久間象山の生涯や門下生について書かれた看板・銅像があり、ちょっとした博物館だ。
あんまり佐久間象山について知らなかったので、帰宅後調べた。
佐久間象山とは
佐久間象山は1811年に松代で生まれた。儒学者、蘭学者、西洋砲術家などの面を持つ。江戸で開いた「五月塾」には、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬など後の有名人が入門している。
1854年、門弟の吉田松陰がペリーの艦隊で密航しようとし、やらかす。吉田松陰に渡航を勧め、相談にも乗っていた象山は共犯として投獄。
1864年、15代将軍の徳川慶喜に招かれ京都へ行き、開国論を説いた。しかし京都は尊王攘夷派(天皇万歳&外国ぶっ潰す集団)の拠点となっており、象山は暗殺された。
なかなかにすごい人だ。江戸城無血開城や海援隊の背景ともいえる人なのに、なぜあまり有名じゃないのか。
象山についての調査によれば、どうやら性格に難ありだったようだ。自信過剰なタイプで、自分を「国家の財産」と言うナルシスト。坂本龍馬に「僕の血を継いだ子は必ず大成する。子どもをたくさん産めるような、大きな尻の女を紹介してほしい」と言ったとかなんとか。
うーん、ただのエロおやじだ。しかも自信満々の。まぁ、ちょっと親しみが湧く気もする。ナルトでいう自来也みたいなイメージか。ナルト詳しくないけども。
松代町散策
歩いて散策してみたが、非常に心地よい町だと思う。散策マップなんかなくても、道を真っすぐ、あるいは右へ、もしくは左へ行くと何かしら江戸の残り香が見られる。
特に気に入ったのは、この道だ。
70歳くらいの時、朝起きて暖かいお茶を飲んで。早朝にこの道を散歩する日々があれば、間違いなく幸せな老後だろうと思う。
終わりに
小雨の中歩いてみたが、かなり楽しかった。真田宝物館なども気になったが、金欠なので行けず。狐の穴、なんてのもあったが、暗くなる前に『自転車で』帰らなきゃならなかったので帰宅した。
次は複数人で、バスか車で、晴れの日に来てみたいものだ。
他に長野県内の場所でリクエストがあれば、ぜひ下の質問箱かインスタグラムで送ってほしい。では。