こんにちは、ユードリナです。
ノスタルジーを感じさせる、夏という不思議な季節。木漏れ日を求めて、神社を巡るシリーズ「懐古への案内」です。
万刀美神社
地図を頼りにあるいていると、小道に出会った。その先には、歴史を感じる場所が。
小道の様子を見るに、この神社のために昔からある雰囲気。
神社と小道があった土地に、後から住宅地が作られた感じがあります。
脇には灯篭がありました。
看板を読むに、この灯篭は「長野市石造文化財第一号」に指定されているそう。
「明和四年」……??明治でも昭和でもなく、「明和」……??
調べたら江戸時代だった。明和四年は西暦1767年らしい。
進んでいくと、立派な御神木が。ジブリ映画に出てきそう。
進んでいくと、神社の由緒が書いてあった。見てみよう。
「まとみ」神社と読むのか。内容をざっくりまとめると、こんな感じ。
- 祭神は建御名方神と馬背の神
- 創立年月は不明
- 昔の「小鹿野村」後の「押鐘村」の産土神
- 元は盛伝寺の北側(おそらくSBC通りの北)にあったが、洪水と街道の関係で現在の地へ移した
- 祭神の「建御名方神」は古事記で「南方刀美命」ともいわれる。この " 方刀美 " の方から点をおとし、「万刀美」としたと考えられる。
また気になる用語が出てきた。
「建御名方神」は前回の記事で調べたのでいいとして。馬背の神とはなんぞや。
調べてみたが、詳細は出てこなかった。
わかったのは、上田市に「馬背神社」という神社があること。そして馬背神社も馬背神を祀っていることだけだった。
さて、ブラブラ歩いていると気になるものがあった。
どうやら俳句が書いてあるようだ。看板にはこう書いてある。
押さずとも明くべき花の戸口哉 何丸
茂呂何丸は、宝暦十一年(1761)に吉田で生まれた高名な俳学者です。京都の二条家から大宗匠の免許を授かり「七部集大鏡」を始め多くの著作を残し「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九も讃えています。
何丸爺顕彰保存会
俳句は難しくて私にはわからない。「明く」は閉じていたものが開くという意味らしい。つまり「戸口みたいに押さなくても、花は咲いてくれるはず」ってことかな?
「べき」には複数の意味があるので、これを”当然”の意味で取った場合だが……
花のつぼみを戸口に例えるあたり、オシャレだな~と思いました。
終わりに
長野市にある神社の多くは、かなりの歴史を誇ります。善光寺というビッグネームがあるものの、地域に愛されてきた小規模な神社も面白いものですね。